ベトナム人と論理的思考の関係性


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ベトナムでビジネスをする日本人が口を揃えて言うのが、
「ベトナム人は論理的ではない」という言葉です。

ゆえに社内でのコミュニケーションや外部の会社とのやり取りにおいても
苦労するといった経験を持った人も多いのではないでしょうか。

しかし、ベトナム人は本当に論理的ではないのでしょうか。
また、仮にそれが本当ならば、その原因はどこにあり、どのように対処していけば良いのでしょうか。

嘆くのは簡単、ベトナムでビジネスをすると決めたからには、
その場の環境に自らを対応させていく姿勢が必要です。今回はベトナム人の論理性について考えていきます。

ベトナム人は本当に論理的ではないのか?

まずは論理的ではない状態の定義をしていきます。
今回は実用性を高めるかつわかりやすくするために
ベトナム人とのコミュニケーションにおいてよくあるパターンに当てはめて考えていきます。

まず論理的ではないと感じるパターンには大きく2つあります。

1.そもそも話していることに論理構成の意識が無い
2.論理構成の意識はあるが、判断基準が異なるがゆえに最終的に論理的ではないと感じる

以上の2つのパターンについて詳しくみていきます。

1.そもそも論理構成の意識が無いパターン

このパターンについては非常にシンプルです。
何か会話をした際には「Because〜」がないパターンです。または、その回答が全く的を得ていない状態です。
例えば、納期に遅れた時に「忙しかったから」「○○さんに問題があった」といった回答だけをしてしまうパターンです。

この状態はベトナムに限らず日本でも小中高生にも見られる傾向で、
論理的思考が形成される前には起きやすい光景です。

対応方法としてはシンプルで、ルールとしてコミュニケーションのフォーマットを徹底させるだけです。
「結論を先に伝えましょう」「必ず解決策をセットにしましょう」等です。
これだけでだいぶ改善されるので、まずはこれから始めるのでも大きな変化を得られるでしょう。

2.論理構成の意識はあるが、判断基準が異なるがゆえに最終的に論理的ではないと感じるパターン

少々やっかいなのがこのパターンです。

会話をしていると一見論理的で、話しもわかりやすい。
しかし、最終的な結論が異なるためにその結論を支えるための主張に一貫してズレが生じている状態です。
相手も自分なりの論理性を持って話しているので、ゆえに説得するのも困難。
マネジメントレベルの人材や、しっかりと教育を受けている人に多く見られる傾向です。
論理性が無いのではなく、論理性を感じにくいという状態です。

ベトナムでビジネスをする上で苦労するのはこちらのパターンのため、
今回はこちらのパターンについてもう少し掘り下げていきます。

論理性の育成に影響する外部環境と内部環境の違い

この原因を考えていくにあたり、
外部要因/内部要因に分けて整理していきました。

論理性

外部要因:許容度
内部要因:共感度
両方:社会性

外部要因について

まずは外部要因についてです。
ここでは許容度という言葉を使いました。

ベトナムで暮らすとわかりますが、発展途上国ということもあり法整備しかり国自体に多くの曖昧さが残っています。
日本のように全てがきっちり決まっているわけではなく、仮に決まっていたとしてもそこまでの拘束力はありません。
身近な例で言えば信号を守る、ヘルメットを被るといったことです。

ゆえに自分が受けるサービスについても、自分が提供するサービスについても許容度が高く、言い換えれば雑になるのです。
この問題は国の成熟度とも相関しているため、今後改善はされていくことを期待したいです。

内部要因について

次に内部要因についてです。
ここでは共感度という言葉を使いました。

日本人も教育システムをみても論理的ではない民族なはずです。
ただ団体行動や協調性を重んじるので、相手の価値観への共感度が高いのが特徴です。
学生時代の国語の授業で感想文を書かせたり、現代文で筆者の意図を答えさせるような教育方法にも反映されています。
また、道徳の授業もその延長線上にあります。こういった教育方針があるがゆえに、他人への共感性が高く、
議論している相手からは多少論理性があるという印象を与えています。

これは仮説ですが、ベトナムの場合、日本同様論理性が育つ教育ではないながら多くの日本人が
自分達の方が論理性があると感じるのは、この共感度の違いがあるのではないでしょうか。

ベトナムの場合、自分の立場を確保したり、立場で得するように主張内容を決める人が多いのです。
この現象自体は、人間はみな自分が1番であると言う当たり前の感情から考えれば理解は出来ます。

社会性

「人間は社会的動物である」とアリストテレスも言っていますが、
上記で述べた外部要因/内部要因の両面にかかってくるのが社会性だと感じています。

wikipediaの定義を借りれば、人間における社会性とは下記のようになります。

人間というのは、自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(つまり《善く生きること》を目指す人同士の共同体)をつくることで完成に至る、という(他の動物には見られない)独特の自然本性を有する動物である

「社会人」という言葉は日本独自で、そこにはあらゆる意味が込められています。
ゆえに日本の企業では入社したら社会人たる行動や考え方が求められるという暗黙知があります。

自分の行動や言動にどのような責任があり、他社にどのような影響を与えるのかを暗黙的にも理解しています。
個人の好き嫌いだけではなく、他社との関係性など多面的に物事を判断して行動します。

ベトナムの場合ですと企業で働くようになってもベクトルが自分にのみ向いており、
いわゆる日本人が期待する社会人としての振る舞いレベルに届かない人が多いのです。

論理性を確保するためには

それでは、このような環境下でもどのように論理性を確保していけば良いのかを考えていきましょう。

まず、論理的思考方法を用いて思考作業を進めるときは、何らかの明確な基準を設定しなければなりません。
なぜならば、そうしないと、感情に左右されて論理的な正しさを確保できないからです。
つまり、判断基準から個人の好き嫌いを排除するのです。
すごく単純化すれば、「それは私たちのお客様にとって本当に価値があるのか」といったものです。

一般的には基準を決めた人の価値観が基準の内容に大きく影響します。
言い換えれば、各人の立場が基準の設定に大きな影響を与えるということです。
ベトナムでは自分の立場を確保したり、立場で得するように主張内容を決める人が多いのですが、
それは自分にとって都合の良い、判定基準や判定結果になることを期待しているからです。

私利私欲を優先する傾向は、個人の好みや価値観よりも強いのです。
よく議論で自分の立場が悪くなると、文化の違いに原因を帰結して回避する人がいますが、
これは健全な態度ではありませんので注意が必要です。
私利私欲や価値観を単なる文化の違いとして片付けてしまってはいけません。

難しいのは、最終的には判断基準の案として意見を出すため、私利私欲を重視したのはどの部分か、
好みや価値観で決めたのがどの部分か、通常は見分けにくいということです。
先に述べたように、「主張が異なるのは、価値観に違いがあるからで、どうしようもない」といったようにです。
「価値観の違い」の代わりに「文化の違い」が使われることが多いのです。

通常議論の中では、参加者が自分の価値観の中身自体を出すことはありません。
議論の課題に関係した内容を、自分の価値観に照らし合わせて判断し、判断した結果を議論の場に出すからです。

価値観が異なる相手と論理的に議論をしていくためには、論理的思考方法の中身を、誰もが認めなければなりません。
日本人が感覚的に持っており同じ日本人とはいちいち共有しなくて済む論理的思考の中身を、共有すべきなのです。
これが質の高い議論をする上で大切な準備と言えます。その上で議論の中身を改善し続けながら、完璧さを少しずつ高めていけばよいのです。

最後に

ベトナム人と論理的思考の関係性について考察をしていきました。
ベトナム人に論理性が無いのではなく、両国の基準の違いにより論理性を感じにくいがゆえに、
上記で述べたような対応策をおすすめいたします。

冒頭でも述べましたが、嘆くのは簡単、ベトナムでビジネスをすると決めたからには、
その場の環境に自らを対応させていく姿勢が必要です。
本記事が今後のこの論理性問題を解決する一助になれば幸いです。